by Junji Okamoto

野田首相の言葉と責任: [2012/06/20+21]

  1. 野田首相、国民へ向けてのスピーチ(2012年6月8日)
  2. スピーチ全文
  3. 使用されている語彙の特徴
  4. 添削してみよう
  5. 感情に訴え、裏付けをしない論理
  6. 付録:原子力規制委員会設置法案の抜け穴3つ

1 序:野田首相、国民へ向けてのスピーチ(2012年6月8日)

2012年6月8日、 大飯原発再稼働、首相が表明 福井県も同意へ手続き(asahi.com) によると、 「野田佳彦首相は8日夕、首相官邸で記者会見し、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)について 『国民生活を守るため、再稼働すべきだというのが私の判断だ。立地自治体のご理解をいただいたところで再稼働の手続きを進めたい』と表明した。」 夜6時から行われた会見は、約12分間の短いものだった。 しかし、この「国民へ向けてのスピーチ」は、 いろいろな面でお粗末なものだった。 速報で伝えた たね蒔き「速報!大飯原発再稼働で、野田首相が会見」(1/2)たね蒔き「速報!大飯原発再稼働で、野田首相が会見」(2/2) や、「国民生活」という語の意味について(内田樹の研究室) におけるコメントは、その中でも多くの不満を代弁している。そして、その内容の薄さ、お粗末さは、自明とすら言える。

今回、実質的・内容的な問題点はさておき、言語研究者として、「一国の首相が国民に対して行ったスピーチ」という観点から、 問題点を指摘しておくことにした。

「日本語は曖昧だ」という批判、非難はこれまでも多くなされてきたが、私は、この考え方は間違っていると繰り返し主張してきた。 「1つの言語が言語として特別に曖昧な構造を有している」とは思えない。 問題点は、「言語の使い方」にある。すなわち、どんな言語であっても、厳密な表現も曖昧な表現もできるのであり、言語の使用者の心がけ一つで、 特定の表現が曖昧にもなり、正確にもなるのだ。

このような観点から見て、今回の野田首相のスピーチは失格である、ということをまず述べる。

さらに、公の場でのスピーチは、話す上での誠実性がマナーとして求められる。 具体的に言えば、嘘をつかないようにすべきである。 しかし、嘘にならないように表現を工夫することで、結果的に意味不明な表現になってはならない。 政治家の発言は、この点で常に危険性をはらんでいる。 今回の野田首相のスピーチは、この「誠実性」という観点から見ても失格である。

2 スピーチ全文

野田佳彦首相が、首相官邸で2012年6月8日18時頃から行なったスピーチの全文は、 「国民生活」という語の意味について(内田樹の研究室) に掲載されている。これは、内田樹氏は、 「野田首相の大飯原発再稼働について国民に理解を求める声明が発表され、それについての評価を東京新聞から求められた。 声明の全文を読まないとわからないので、全文のpdfファイルを送って貰って読んだ。」と説明しているが、 おそらくPDFファイルをコピー&ペーストしてブログ上に貼り付けたものと思われる。 実際に、野田首相会見 冒頭 大飯原発3、4号機の再稼働方針を表明、理解求める(YouTube) に収録されている音声と比較すると、部分的に異なっていることから、 内田氏の入手した「全文のpdfファイル」は、原稿として記者に(あらかじめ/あるいは後から?)配布されたものだろう (スピーチを録音して、原稿おこしをしたものではない)。

上記の YouTube の音声と「内田樹の研究室」に掲載されている全文を比較して明らかに異なる点は、 野田佳彦首相の口癖であろうと推察される「不要な『を』の挿入」と、石油資源に関する3つの文の有無にある。

「不要な『を』の挿入」と呼ぶものは、以下の(1) a. の原文に (1) b. のように「を」を挿入することを指す。 スピーチ全体では、数カ所でこのような「『を』の挿入」が行われているが、 以下で示す全文では、このスピーチの時点での変更(?)は反映させていない。

(1) a.[...]もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認されています。
       b.[...]もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認[を]されています。

石油資源に関する3つの文とは、「野田首相会見 冒頭 大飯原発3、4号機の再稼働方針を表明、理解求める(YouTube)」の 7分7秒あたりから始まる以下の文であり、「内田樹の研究室」に掲載されている「全文」には含まれていない。

さらに、我が国は石油資源の7割を中東にたよっています。
仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。
国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。

以下、「内田樹の研究室」に掲載されている全文を元に、上記の3文を加えたものを掲載する。 なお、「国民の生活を守るために、大飯発電所3m4号機[...]」となっている箇所があったが、 明らかに「国民の生活を守るために、大飯発電所34号機[...]」であろうと判断できたので、そのように修正した。 句読点が抜けている部分もあると思われるが、そのままにしてある。 「内田樹の研究室」に掲載されている全文に対して、手を入れた2箇所は、赤字で表示する。 なお、段落分けは、「内田樹の研究室」に掲載されている「全文」に従った。

本日は大飯発電所3,4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。
4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体のご理解を得るべく取り組んでまいりました。 夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。 国民生活を守る。 それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。 それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。
その具体的に意味するところは二つあります。 国民生活を守ることの第一の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。 福島を襲ったような地震・津波が起こっても事故を防止できる対策と体制は整っています。 これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認されています。
これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。 もちろん、安全基準にこれで絶対というものはございません。 最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。 そのため、最新の知見に基づく、30項目の対策を新たな規制機関の下で法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。
その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。 速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。
こうした意味では実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で、安全規制を見直していくこととなります。 その間、専門職員を擁する福井県にもご協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。 これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置致します。
なお、大飯発電所3,4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります
国民生活を守ることの第二の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。 豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。 これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ちゆきません。
数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかも知れません。 しかし、関西での15%もの需給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的にはきわめて厳しいハードルだと思います。
仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。 仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。 働く場がなくなってしまう人もいます。 東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。 計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。
そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。 夏場の短期的な電力需要の問題だけではありません。 化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして家庭にも影響が及びます。 空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。
さらに、我が国は石油資源の7割を中東にたよっています。 仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。 国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。
そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。 関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。 これらの立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。 私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。
以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。 国民の生活を守るために、大飯発電所34号機を再起動すべきだというのが私の判断であります。 その上で、特に立地自治体のご理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。 ご理解をいただいたところで再起動のプロセスを進めてまいりたいと思います。
福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。 そして、不安を感じる母親の皆さん。 東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。 しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。
一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりました。 この間、再生エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。
これは国の行く末を左右する大きな課題であります。 社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府として選択肢を示し、国民の皆さまとの議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。 国論を二分している状況で一つの結論を出す。 これはまさに私の責任であります。
再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。 国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞご理解をいただきますようにお願いを申し上げます。
また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めてゆく努力をどこまでも不断に追求していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。
私からは以上でございます。

3 使用されている語彙の特徴

まず、「MeCab (和布蕪)」(オープンソース形態素解析エンジン, v.0.99)を使って、上記の全文における名詞の頻度リストを作成してみた。 以下では、3回以上用いられた名詞を頻度順に並べている。

頻度(回数) 名詞(「形容動詞」も含む)
12 安全, こと
11
9 電力, 生活, 国民
8 的, 再, ため, これ
7 起動, よう
6 問題, 福島, 判断, 事故, 原発, 4
5 理解, 発電, 原子力, 以上, それ, 3
4 停電, 知見, 大飯, 体制, 新た, 自治体, 事態, 国, 議論, 化, 意味, エネルギー, たち
3 立地, 暮らし, 日常, 責任, 政府, 性, 人, 上, 所, 号機, 計画, 供給, 規制, 確保, 皆さん, 夏場, 下, もの, 1, 0

8回以上使われた名詞を並べると、何を言いたかったのか推測できてしまう気がする。 すなわち、「私は安全(だと思う)」、「国民生活には電力(が必要だ)」 である。

「私」という語を中心に、再度詳しく見直してみると、実は少し異なっている。

本日は大飯発電所3,4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に 自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。
4月から を含む4大臣で議論を続け、関係自治体のご理解を得るべく取り組んでまいりました。
それがこの国論を二分している問題に対して、 がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。
これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも 自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置致します。
そして、 たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。
  たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。
以上を申し上げた上で、 の考えを総括的に申し上げたいと思います。
国民の生活を守るために、大飯発電所3,4号機を再起動すべきだというのが の判断であります。
しかし、 は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。
これはまさに の責任であります。
  からは以上でございます。

「私」を中心に見た場合、「安全」という表現との直接的関係はないのだ。では、「安全」という表現はどのように用いられているのだろうか。 上記の 「私」と同じように「安全」という語を中心に追ってみた。

これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力 安全 委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を[...]
[...]知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、 安全 性を確認した結果であります。
もちろん、 安全 基準にこれで絶対というものはございません。
その上で、原子力 安全 への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。
こうした意味では実質的に 安全 は確保されているものの、[...]
[...]政府の 安全 判断の基準は暫定的なものであり、[...]
[...]新たな体制が発足した時点で、 安全 規制を見直していくこととなります。
なお、大飯発電所3,4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に 安全 性を判断してまいります
国の重要課題であるエネルギー 安全 保障という視点からも、原発は重要な電源であります。
社会の 安全 ・安心の確保、[...]
[...]エネルギー 安全 保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、[...]
また、原子力に関する 安全 性を確保し、それを更に高めてゆく努力をどこまでも不断に追求していくことは、重ねてお約束を申し上げたい[...]

ここで見て取れるのは、「安全」という言葉が、「私」=「野田首相」とはほとんど関係していないということだ。 「安全」は、ほとんどの場合、 名詞複合語の一部である(「原子力安全委員会」、「安全性」、「安全基準」、「原子力安全」、「安全判断」、「安全規制」、「エネルギー安全保障」、「安全・安心」)。

4 添削してみよう

ここでは、「安全」という語がどのように使われているかに焦点を合わせ、1つ1つ確認しながら、添削してみよう。

(1) オリジナル(赤文字は筆者)
これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、 専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。

(1)の文は、「国民生活」という語の意味について(内田樹の研究室) でも主語なし文として非難されており、責任主体が曖昧であるばかりか、 「だが、そうやって『安全性を確認』した主体を曖昧にしただけでは不安だったのか、 ご丁寧に、そのあとには「結果であります」ともう一重予防線を張って、さらに文意を曖昧にしている。」とまで指摘されている。

中学校、高等学校の国語の授業、あるいは、大学での日本語表現法などの授業で、このような文を書いたら落第である。 なぜかというと、論旨がまったく構成されていないからで、本来の「言いたい事」をできるだけ短い文で明確に表現してつなげれば、 例えば、次のようになる。

(1)' 筆者による添削例
(i) これまで専門家による40回以上にわたる公開の議論が、一年以上の時間をかけて行われてきました。
(ii) その間には、IAEA(の委員会)や原子力安全委員会も開かれています。
(iii) これらの議論の機会に、さまざまな知見が得られたと私は思います。
(iv) それらの知見は、慎重に積み重ねられてきたと私は思います。
(v) これら議論の結果得られた知見により、(日本にある原発の)安全性を、は確認したと思っています。
(vi) それが、(今日、私がここで報告できる唯一の安全性に関する?)結果であります。

解説
(i)と(ii)は、事実の報告なので問題ない。(iii)と(iv)は、スピーチをしている本人=野田首相の考えと思われるので、 責任主体が明確になるように、「私」という主語を明示した。 (v)は、(iii)と(iv)に基づき、スピーチをしている本人=野田首相が考えた結論部分なので、 因果関係を明示し、「安全性」の対象(「日本にある原発」)を明示し、結論を出した主体である「私」を明示した (こんなことで安全性が確認できたとは誰も信じないだろう)。 (vi)では、「結果であります」の部分の添削だが、「結果としてこういうこ とになった」という自発的表現なのか、なんらかの具体的な議論の結果なのか、 理解に苦しむところだが、前の文脈から、「結果」が「今日、私がここで報 告できる唯一の安全性に関する」ものに関連していると解釈した(「安全性を確認した」と「結果」は、直接結びついていないという解釈)。

なお、この不可解な「結果」の解釈に関して、 「国民生活」という語の意味について(内田樹の研究室) 内田樹氏は、以下のように解説している。

「安全性を確認した結果」とは何を指すのか。
「安全性を確認した結果」は実はこの文の前にも後にも言及されていない。
それが出てくるのは、はるか後、演説の終わる直前である。
「大飯発電所3、4号機を再起動すべきだというのが私の判断であります。」
これが「結果」である。
たぶんそうだと思う。
「安全性を確認した結果」として意味的につながる言葉は声明の中に、これしかないからである。
だが、この書き方はいくらなんでも、声明の宛て先である国民に対して不誠実ではないだろうか。
---
「国民生活」という語の意味について(内田樹の研究室) より引用。

添削した(1)'の文章が、(1)の文章よりはるかに読みやすく責任主体が明確になっていることが理解いただけるだろうか。 (1)'のように添削してみると、明らかに(v)の結論は説得力がないことが分かる。 つまり、議論の結果、どんな知見が得られたのかが不明であり、 どうしてそれが日本の原発の安全性の確認につながるのかも不明であるからだ。

次に取りあげる箇所は、上記の箇所のすぐ後に続く部分であり、しかも「安全」という言葉が5回も登場する。

(2) オリジナル(赤文字は筆者)
もちろん、安全基準にこれで絶対というものはございません。 最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。 そのため、最新の知見に基づく、30項目の対策を新たな規制機関の下で法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。 その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。 速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。 こうした意味では実質的に安全は確保されているものの、 政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で、安全規制を見直していくこととなります。

ここは、「安全基準」に関して述べている部分で、まずは、その論理構造に沿って、簡明に飾りを取って添削してみる。 事実関係に関しては、後で考える。

(2)' 筆者による添削例
(i) 安全基準には、これで絶対だ、というものはない。
(ii) 東京電力福島原発事故を教訓としたら、安全基準は、常に見直していかなければならないだろう。
(iii) そこで、最新の知見に基づき(経済産業省原子力安全・保安院に)30項目の安全対策を作ってもらった。
(iv) 新たな原発規制機関を作り、その下で安全基準を法制化をする予定である。
(v) (しかし、新たな規制機関ができるまでには、しばらく時間がかかるので)30項目の安全対策は、まだ法制化されていない。
(vi) 私たち政府は、電力会社に期限を区切って30項目の安全対策を実施するように求めている。
(vii) 原発の安全に対する国民の信頼を回復するためには、 新たな規制機関を一刻も早く発足させねばならない。
(viii) そして、その規制機関のもとで、安全基準を新しくしなければならない。
(ix) 私は、関連法案がすみやかに成立し、実施されることを期待している。
(x)-(1) こうした意味では実質的に安全は確保されている。
  ⇒(x)-(2) こうした意味では、形式的にすら安全は、まだ何も確保されていない
(xi) なぜなら、(現在の)政府の安全判断の基準は暫定的なものだからだ。
(xii) 従って、(あらたな規制機関による)新体制が発足した時点で、安全規制は見直される。

解説
まず、(i) で「安全基準」には、絶対というものはない、と宣言しておきながら、 (x)で消した部分(x)-(1)では、「こうした意味では実質的に安全は確保されている」 と言い切っているのだがら、驚くほかはない。(x)-(2)の添削で示したように、ここは強い否定にしなければ、 その後の (xi)の「なぜなら」以下につながらない。

では、どのようにして、このような強引な論理展開が成立したのか、と言えば、 (i)から(xi),(xii)の結論へ至るのは理解できるのだが、どうしても間に、 (iii) 「暫定的な30項目の安全対策を作ったこと」を入れ、 「それで、当面は安全なんだ」と無理やり説得したいからなのだろう。 というのも、「当面は安全なんだ」ということを強調しておかないと、 「大飯発電所3、4号機を再起動すべきだ」という結論にたどりつけないからだ。

事実関係に関して少し触れておこう。 経済産業省原子力安全・保安院が作成したという「30項目の暫定安全対策基準」とは、 30項目、安全基準に反映, 保安院の山形浩史・管理官に聞く(2012年3月21日 読売新聞) に一部紹介されているもので、その後、 原発再稼働、暫定基準は2段階 早期は実施済み13項目か(2012年4月5日 共同通信) などでも指摘されているように、この決して厳格とも言えない安全対策も17項目は実施されていないようなのだ。 ニュースでも盛んに取り挙げられるようになった「免震事務棟を2015年度中に設置」、 「防潮堤は、既存のものをかさ上げして海抜8メートルにする計画だが、完成は13年度中の予定」 などの状況で、「当面は安全なんだ」という判断は、「東京電力福島原発事故を教訓としたら」できないはずだ。

(3) オリジナル(赤文字は筆者)
その間、専門職員を擁する福井県にもご協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。 これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置致します。 なお、大飯発電所3,4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります

この部分は、(2)の文章の後に続く部分で、「安全」という表現は1つしか含まれていない。 しかし、よく考えてみると意味不明なところもある。 その文脈に依存した解釈の部分を適当に補って以下のように添削してみた。

(3)' 筆者による添削例
(i) 新たな規制機関が発足するまでの間は、特別な原発監視体制を構築する。
    (専門職員を擁する福井県の協力を得ながら、国の一元的な責任の下で行う。)
(ii) この特別な原発監視体制では、指揮命令系統を明確なものとする。
(iii) (大飯発電所3,4号機に)万が一の事故が起きた時は、(=野田首相)が指揮をする。
(iv) (=野田首相)の指揮の元で、政府と関西電力双方が次のような人物を探して任命する。
    現場(免震棟がないので、どこ?)で的確な判断ができる責任者
(v) 大飯発電所3,4号機以外の再起動については、個別に安全性を判断して決める。

解説
ここでは、すでに、「大飯発電所3,4号機を再起動すること」が前提となって議論が進行し、 その際には、「特別な(原発)監視体制を構築する」と述べている。 もちろん、前の部分で述べられていた原発規制機関が制度的にも実質的にも出来上がる前の段階で、 大飯発電所3,4号機を動かすというのだから、その責任をどこがどうやって取るか、という問題が起きる。 この「特別な監視体制」は、以下の5つの特徴を持つ。
(a) 福井県の専門職員に協力してもらう、
(b) 国が一元管理する、
(c) 明確な指揮命令系統を持つ、
(d) 事故が起きた際は、首相がトップとなり指揮をする、
(e) 現場で的確な判断ができる責任者を政府と関西電力は探し出して任命する。
この5つの特徴を持った「特別な監視体制」は、福島原発事故の時よりも、果たして効率的に事故に対処できるのだろうか? 福島には「免震棟」が存在したが、大飯にはないので、いったい「現場」での指揮をとる責任者はどこに配置されるのだろうか? 首相がトップとなり指揮をすることに問題はないのか? 原発の専門家は、この監視体制のどこに、どの程度の人数が関与するのだろうか? そして、その専門家はどうやって選ぶのだろうか? 「現場で的確な判断ができる責任者」とは、いったい誰なんだろう? 果てしなく疑問が湧いてきて、結局、何一つ明らかではないことが明らかになる。

(4) オリジナル(赤文字は筆者)
この間、再生エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。 これは国の行く末を左右する大きな課題であります。 社会の安全・安心の確保、 エネルギー安全保障、 産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、 政府として選択肢を示し、国民の皆さまとの議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。 国論を二分している状況で一つの結論を出す。 これはまさに私の責任であります。 再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。 国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞご理解をいただきますようにお願いを申し上げます。 また、原子力に関する安全性を確保し、 それを更に高めてゆく努力をどこまでも不断に追求していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。

スピーチの最後の部分で、再び「安全」という言葉が3回登場する。 野田首相の決意が明確に述べられる部分でもあるが、残念ながら、 そこには、「国民の生活を守る」という言葉はあっても、「国民の安全を守る」という言葉はない。

(4)' 筆者による添削例
(i) 福島原発事故以降、再生エネルギーの拡大や省エネの普及に力を入れてきた。
(ii) 再生エネルギーの拡大と省エネの普及は、国の将来を左右する課題だ。
(iii) 国の将来を左右するエネルギー政策の方針は、8月をめどに決めていきたい。
    (社会の安全・安心の確保、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進を考慮して、
    選択肢を示すようにする。)
(iv) は首相として、国論を二分している状況で結論を出す責任がある。
(v) 原発の再起動をしないことで、生活の安心が脅かされれはならない、とは思う。
(vi) 今回の私の判断は、国民の生活を守るためのものである。だから理解して欲しい。
(vii) 原発に関する安全性を確保し、安全性を高めてゆく努力をすることを私は約束する。

解説
60の文から成り立つこのスピーチは、44番目の文で、 「国民の生活を守るために、大飯発電所3,4号機を再起動すべきだというのが私の判断であります。」 という結論が述べられる。それまで、延々と結論を先延ばしし、結論を述べた後は、 「再生エネルギーの拡大と省エネの普及」にテーマを変更し、 もちろんこのテーマを考えているという振り(?)を見せている。 「8月をめどに決めていきたい」という部分は、原文では、目的語不明である。 何を決めるつもりなのか、ここでの添削結果のように、明確に「国の将来を左右するエネルギー政策の方針」 と述べて欲しかった。(iv)は、首相としての責任論で、わざわざ言う必要もないが、後述するように、感情的に訴えようとする下心が目につく。 (v) は、原発推進派の視点を明確に表現している(「原発の再起動をしないことで、生活の安心が脅かされれはならない」)。もし、逆に、原発反対派だったら、 「原発の再起動をすることで、生命の危険が脅かされてはならない」となるだろう。 (v)のように表現したことで、野田首相は、「私は、原発推進派です」と言ったも同然である。 (vi)では、あくまでも「国民の生活を守る」という視点からの判断であることを繰り返し、「国民の生命を守る」 ことは二の次になる。最終的に、(vii)のように言う裏には、 「原発はやめないからね。だから、がんばって安全性を確保するよ。安全性が高まるように努力を続けるからね。見ていてね。」 と懇願している首相の様子が見て取れないだろうか。

「脱原発依存」という変な言葉がある。「脱[原発依存]」という構造で、「原発依存から抜け出る」という意味のようだ。 これは、「脱原発」ではない。「原発に依存する状態を抜け出る」というのは、「原発がゼロにならなくてもいい」のである。 限りなく「原発は残したい」という人々の考え方が背後にある。

5 感情に訴え、裏付けをしない論理

「経済状況を優先したら、今年の夏の関西の電力事情は苦しいから、大飯原発を動かすべきだ」 という主張を日本の首相が国民に向かってするのなら、それはそれでよい。 ただし、国民を説得できるデータを提示し、徹底的に納得できるように、証拠で固めなければならない。 それが、政治家たる者が心がけるべき「誠実さ」である。

私が、徹底的に気に入らないこの「国民に向けてのスピーチ」は、裏付けをしたデータを出し、論理的に国民を説得しようとする態度がほとんど見えないところにある。 他方では、感情に訴えようとする表現が目立つ。1箇所だけ以下に引用する。

福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。
そして、不安を感じる母親の皆さん。
東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。
しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。

「...よく、よく理解できます。」なんて言って欲しくない。 「東電福島原発の事故の記憶が残る中で」ではなく、「東電福島原発の事故の影響を今も深刻に受けている」 人たちのことを本当に考えているのだろうか? 大飯発電所3,4号機の下に活断層がある、という説がある。もし、大地震が来ても、本当に安全なのだろうか? 大津波が来ても大丈夫なのだろうか? 原子力規制庁ができる前に、本当に抜本的対策が取れているのだろうか?

残念ながら、今回の野田首相の国民へ向けてのスピーチは、絶望的な程、不明確なものであり、 データの裏付けのある論理を使わずに感情に訴えるというお粗末なものであった。 こんな日本語の使い方をして欲しくない、と私は心底思う。

今回は、部分的にしか書き直しをしなかったが、「大飯原発を動かすべきだ」という論旨でも、 「大飯原発を動かすべきではない」という趣旨でも、もっとまともなスピーチができるはずだ。 感情だけに訴えるようなスピーチは、世界に通用しない、いや、そもそも現代社会には、まったくふさわしくない。

折しも、大飯原発、冷却水低下と警報作動 再稼働決定後、初トラブル(2012/06/20 13:26【共同通信】) というニュースが飛び込んできた。「特別な監視体制」にあり、再稼働が決定している大飯原発3号機での話だ。 「外部への水漏れなどはなく、環境への影響はないという」が、「記者会見は発生半日後の午前11時からとなった。」そうだ。 「本来は公表基準に当たらない軽微な事象」なのだそうだが、「特別な監視体制」にはちょっと疑問符がついた。

6 付録:原子力規制委員会設置法案の抜け穴3つ

2012年6月20日には、原子力安全調査委員会設置法が参院本会議で民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決成立した。 本来は、2012年4月1日には、新しい原子力規制庁が動き出し、その前に、保安庁や原子力安全委員会は解散される予定だったが、 ここまでずれこんでしまった。原子力安全調査委員会設置法は、 首相の権限など一部が議論されただけで、細部が検討されることもなく官僚主体で作られた原案が、 骨抜きにされて通過していった、という印象がある。

2012年6月21日に放映された、テレビ朝日「モーニングバード」内の、[そもそも総研:原発「安全」のための規制庁が骨抜きになってますけど](玉川徹氏担当)では、 古賀茂明氏を迎え、3つの抜け穴が「霞が関文学」で書かれた条文・附則を解読する形で行われた。 3つの抜け穴とは、以下のものだ。

1. 職員ノーリターン・ルール
2. 国会事故調「報告」の扱い
3. 40年で廃炉

職員ノーリターン・ルールとは、原子力規制庁を動かすために、各省庁から職員を原子力規制庁に出向させる形で始まるが、 一旦、原子力規制庁へ行った者は、元の省庁へ戻さない、というのがノーリターン・ルールである。 もし、元の省庁へ戻すことが行われてしまうと、一時的に規制庁の仕事をして元の省庁へ戻って行くことになり、 規制庁の独立性は大幅に失われる可能性がある。職員ノーリターン・ルールには、当初の5年間を例外とするという抜け穴がついてしまった。
古賀茂明氏の解説によれば、「原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織への配置転換を認めない」 という部分は、 「原子力利用の推進に係わらない事務を所掌する行政組織への配置転換はできる と読めるのだそうで、一旦、関係ない省庁に動かしてから、関係ある行政組織に戻すことはできてしまう。 さらに、 「当該職員の意欲、適性等を勘案して特にやむを得ない事由があると認められる場合は、この限りでない。」 となっているので、規制庁で働き始めても、「意欲」や「適性」等がなかったら、いくらでも戻せるのだ。 「霞が関文学」においては、 を付けるのは常套手段で、これによりほとんど何でも可能になってしまう。

第六条
2 原子力規制庁の職員については、原子力利用における安全の確保のための規制の独立性を確保する観点から、 原子力規制庁の幹部職員のみならずそれ以外の職員についても、 原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織への配置転換を認めないこととする。 ただし、この法律の施行後五年を経過するまでの間において、当該職員の意欲、適性等を勘案して特にやむを得ない事由があると認められる場合は、この限りでない。

国会事故調「報告」の扱いは、第五条に述べられているが、 この書き方だと、基本的に事故調(=東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)の報告は、無視できてしまうようだ。 3年以内に事故調の報告書を踏まえ、検討が加えられ必要な措置を講じる、ということは、 3年間放っておき、最終的に必要な措置がないと判断すればよい、というのだ。 無視できないように規定する場合には、「報告書が提出されたら早急に必要な措置がとられねばならない」 のように、時間的余裕を設けないのが普通のようだ。あと一週間位で、事故 調の報告書が出てくると言われている。 その中には、当然、規制庁のあるべき姿が書かれていると思われる。 その内容に縛られないようにするために、大量の附則のついた条文を国会で通過させた。 いったい誰がそのように仕組んだのだろうか。

第五条 原子力利用における安全の確保に係る事務を所掌する行政組織については、 この法律の施行後三年以内に、この法律の施行状況、 国会に設けられた東京電力福島原子力発電所事故調査委員会が提出する報告書の内容、 原子力利用における安全の確保に関する最新の国際的な基準等を踏まえ、 放射性物質の防護を含む原子力利用における安全の確保に係る事務が我が国の安全保障に関わるものであること等を考慮し、 より国際的な基準に合致するものとなるよう、内閣府に独立行政委員会を設置することを含め検討が加えられ、その結果に基づき必要な措置が講ぜられるものとする。

40年で廃炉というのは、原発の安全運転上、常識的な一つの基準だと思われていた。 というのも、古い原子炉は、中性子照射による脆性劣化が進んでおり、シュミレーションではなく、実際の劣化度合いを測定すると、 かなり深刻な状態になっていることが知られている。 それにもかかわらず、1回限りで20年の延長が可能なように解釈できる条文を通してしまった(第43条の3の31の2)。

第四十三条の三の三十一 発電用原子炉設置者がその設置した発電用原子炉を運転することができる期間は、 当該発電用原子炉の設置の工事について最初に第四十三条の三の十一第一項の検査に合格した日から起算して四十年とする。
2 前項の期間は、その満了に際し、原子力規制委員会の認可を受けて、一回に限り延長することができる。
3 前項の規定により延長する期間は、二十年を超えない期間であつて政令で定める期間を超えることができない。
4 第二項の認可を受けようとする発電用原子炉設置者は、原子力規制委員会規則で定めるところにより、原子力規制委員会に認可の申請をしなければならない。
5 原子力規制委員会は、前項の認可の申請に係る発電用原子炉が、 長期間の運転に伴い生ずる原子炉その他の設備の劣化の状況を踏まえ、 その第二項の規定により延長しようとする期間において安全性を確保するための基準として原子力規制委員会規則で定める基準に適合していると認めるときに限り、同項の認可をすることができる。

いったいこの国の法律は、誰が誰のために作っているのか?