by Junji Okamoto

失言を裁けても暴言を裁けない国 --- 「フランス語訴訟」と石原都知事 [2007/12/30]

1. イントロにかえて:ウナギの話
2.「フランス語訴訟」
2.1. 背景
2.2. 訴訟の概略
2.3. 「フランス語訴訟」の判決
2.4. 第1発言に関する原告と被告の主張
2.5. 第1発言をめぐる裁判所の判断
3. 失言と暴言
4. 結び

1. イントロに替えて:ウナギの話

やつめうなぎ(八目鰻)
ヤツメウナギ目ヤツメウナギ科の円口類の総称。 体形はウナギに似るが,目の後方にえら穴が七つあり, 目が八つあるように見える。...
(デジタル大辞泉[小学館]よりの一部引用)
補足:一般に日本でヤツメウナギと呼ばれているのは, カワヤツメで,目は2つある。いわゆるウナギはウナギ目ウナギ科の魚類だが, ヤツメウナギは,円口類。 ドイツ語でヤツメウナギは,Neunauge(九つの目) と呼ばれるが, 2つの鼻の穴と7つのえら穴を目として数えたからと言われている。

<以下の話はフィクションです。 ウナギが話すことはありませんし, ウナギがヤツメウナギと一緒に集団で暮らしていることもありません。>

第一話
100匹のウナギ組のリーダーになった信太は, 八目鰻(ヤツメウナギ)達の混じっている全メンバーの前で 八目鰻(ヤツメウナギ)の八太郎に向かって言った。
おまえなんか,俺たちウナギの仲間じゃあない。 本当は1つしか目がないくせに,八目鰻(やつめうなぎ) なんて自分で名乗って威張っているんだから。」
「その8つのえら穴が『目』に見えることが問題なんだ。」
「夜盲症の薬かなにか知らないが, 今どきそんなにみっともない飾りをつけてるから, 目立ってやすやすと人間に捕まっちゃうんだ。」

第二話
100匹のウナギ組のリーダーになった信太は, 八目鰻(ヤツメウナギ)達の混じっている全メンバーの前で言った。
八目鰻(やつめうなぎ)なんか,俺たちウナギの仲間じゃあない。 本当は1つしか目がないくせに,八目鰻(やつめうなぎ) なんて自分で名乗って威張っているんだから。」
「その8つのえら穴が『目』に見えることが問題なんだ。」
「夜盲症の薬かなにか知らないが, 今どきそんなにみっともない飾りをつけてるから, 目立ってやすやすと人間に捕まっちゃうんだ。」


第一話と第二話の違いは,赤い文字で示した部分だけだ。 第一話で呼びかけられているのは,八太郎個人(個体)であるのに対し, 第二話で話しかけられているのは,不特定多数である。 また,100匹のウナギの中のヤツメウナギだけが話しかけられているわけでもない。

この2つの話の中で,どちらが常識的にいって罪が重いだろうか? 第一話のように,集団の中で,一個人を攻撃するのは,卑劣なやり方であり, ある種のイジメである。 では,第二話のように,不特定多数に対しての呼びかけは,どうだろう。 100匹のウナギの中のヤツメウナギ達は,どう感じるだろうか? そして,ヤツメウナギでないウナギは,何を感じるだろうか?


2. 「フランス語訴訟」

2.1. 背景

2004年10月19日(火)17時30分,新宿にある東京都庁第1庁舎5階大会議場では, 「The Tokyo U-club」の設立総会が始まった。 この一風変わった名前の組織は,当時まだ設立されていない大学, 「首都大学東京」をサポートする会員制クラブだった。 法人は入会金20万円で年会費10万円,個人は入会金,年会費ともに2千円。

同会の発起人には,155人が名前を連ねていた。 高橋 宏会長(首都大学東京理事長予定者)の挨拶で始まり, 石原慎太郎東京都知事と 多湖 輝千葉大学名誉教授(「心の東京革命推進協議会(青少年育成協会)会長」 の祝辞が後に続いた。

発起人の中には,東京都の副知事,局長クラスの幹部職員, 元および現東京都大学管理本部長のほか, 当時の東京都立大学の法学部長,経済学部長,都市科学研究科長, 東京都立科学技術大学学長,東京都立保健科学大学学長,東京都立短期学長 などが名を連ねていた。また,当時の経団連会長や味の素の社長, 日本IBM,リクルートなどの民間企業の代表者, 日本サッカー協会なども参加していたと言われている。
(読売新聞,2004年10月20日 都内2 14版 (地域) 及び,同日,産経新聞 参照)

当日の模様は,「Tokyo MX テレビ」でライブ中継されたが, 「そんなに多くの参加者がいるように見えなかった」 というのがその時の放送を実際に見た人からの証言である。

毎日新聞朝刊 24面都内版(2004年10月20日)には, 「首都大・理事長予定者「バカでもチョンでも…」発言−応援団設立総会」) 地方版には,

会長に就任した高橋宏・理事長予定者はあいさつの中で 「大学全入時代,学校さえ選ばなければバカでもチョンでも, そこそこの大学に入れる時代が3年後に来る。 首都大学東京は世界の共通の財産。有識者の声を反映した, いい大学にしたい」と発言した。「チョン」 は韓国・朝鮮人に対する差別的表現とのとらえ方もあり,今後,批判が出る可能性もある。

と,首都大学東京理事長予定者の発言を紹介するとともに, 石原慎太郎東京都知事の祝辞の一部を以下のように紹介した。

... 都立大のCOE返上問題に触れ, 「一部のバカ野郎が反対して金が出なくなったが, あんなものどうでもいい」と述べた。 都立大でフランス文学やドイツ文学を担当する教員に首都大の構想に批判的な教員が多いことに関して 「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも,むべなるかなという気がする。 そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。 笑止千万だ」と話した。

2.2. 訴訟の概略

2005年7月13日に提訴された「石原都知事のフランス語蔑視発言に対する訴訟」(以下,「フランス語訴訟」と呼ぶ) は,最終的に3件に分かれていた。
平成17年(ワ)第14143号 謝罪広告等請求事件(第1事件)
平成17年(ワ)第24104号 謝罪広告等請求事件(第2事件)
平成19年(ワ)第6821号 損害賠償等請求事件(第3事件)
この内,第3事件は, 2006年10月27日に開かれた裁判において,被告石原氏側が 「私的な発言ではなく,公務員としての発言だった」と翻った結果を受け, 追加された東京都に対する「国家賠償訴訟」である。 この訴状は,2007年(平成19年)3月19日に提出された。

請求の詳しい説明等は, 「石原都知事のフランス語発言に抗議する会」 のサイトに掲載されているので, ここではまず議論の対象となった知事発言のみを上記サイトに掲載されている「判決文」に付随する文書をもとに紹介し,第1発言に絞って, 2.4. 第1発言に関する原告と被告の主張の章で検討する。

第1発言
「本件第1発言前半部分」
「フランス語を昔やりましたが,数勘定できない言葉ですからね。 これはやっぱり国際語として失格していくのは,むべなるかなという気がする」*注1
「本件第1発言後半部分」
  「そういうものにしがみついている手合いが結局反対のための反対をして。」「笑止千万な。」
(平成16年10月19日,東京都庁第1庁舎5階大会議場において開催された「The Tokyo U-club」の設立総会にて)

*注1  「...国際語として失格していのは,」となっているが, これまでの新聞記事や,その他のメディアの伝えた情報では, 「...国際語として失格していのは,」 となっていた。「く」と「る」の違いは大きい。 「失格していく」と言えば,「未来の予想」であるが, 「失格している」というのは,「現在の時点での断定」である。 なぜこのような違いが起きたのか,詳細は分からない。

第2発言*注2
「本件第2発言前半部分」
「人間というのは物事の変化というものが一番怖い,新しい事態というものを迎え入れることが非常にできにくい, 本質的に非常に保守的な動物,生物でありますけども,今度のこの大学の構想も。」 「こういうものに反対した連中っていうのは, もう本当にリタイアリングな保守的っていうか退嬰的な人たちばかりで。」
「本件第2発言後半部分」
「過程で聞きましたら,ドイツ語の先生が十数人いて受講者が4人しかいない。 フランス語の先生は8人いるけど受講者が1人もいない。」

*注2  判決文に付随する文書では,この第2発言の行われた時と場所がなぜか明示されていないが, これも,第1発言と同じく, 平成16年10月19日,東京都庁第1庁舎5階大会議場において開催された 「The Tokyo U-club」の設立総会にて行われた発言であると推測される。第1発言第3発言は(そしておそらく第2発言も), 東京都の公式ホームページ内の「知事チャンネル」に音声つき動画として配信されていた [http://www.tocho-i.metro.tokyo.jp/chtv/video/2004/1019TokyoU-club.wmv 知事祝辞の中で問題発言は,7分から8分の所にあった] が,いつの間にか削除された。

第3発言
「そういうものにしがみついている手合いが結局反対のための反対をして。」 「高橋もいいところあるのだけども, これ親分肌で窮鳥懐に入ればワッハッハって,何でも言うことを聴くから, 左翼がそこに付け込んで大学がちょっと足踏みしたんですけど。」 「笑止千万な反逆にもならない反逆で。」
(平成16年10月19日,東京都庁第1庁舎5階大会議場において開催された「The Tokyo U-club」の設立総会にて)

第4発言
「本件第4発言第1文」
「それから,もっと具体的な小さな点をあげますと, ほとんど希望者のない専攻科がある。独文は2人,仏文はゼロ。」
(平成15年12月24日記者会見における発言)
「本件第4発言第2文」
「平成15年の4月,1年生から2年生への専攻決定時に, 全く希望者のない専攻,ほとんど希望者のない専攻が2つあります, 独文が2人,仏文はゼロ。」
(平成16年3月2日東京都議会第1回定例会)
「本件第4発言第3文」
「調べてみたら,8〜9人かな, 10人近いフランス語の先生がいるんだけど, フランス語を受講している学生が1人もいなかった。」
(平成17年7月15日の記者会見)
「本件第4発言第4文」
「先進国の東京の首都大学で語学に対する学生たちの需要というのも, フランス語に関しては皆無に近い」
(平成17年7月15日の記者会見)

2.3. 「フランス語訴訟」の判決

第1発言の検討をする前に,裁判結果をまず確認しておく。 2007年12月14日(金)13時15分,「フランス語訴訟」の判決は, 東京地方裁判所第627号法廷で下された。

主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。

判決内容は, 「石原都知事のフランス語発言に抗議する会」 のサイトにPDFファイルでアップロードされている。 時事通信及び産経新聞は,裁判結果を以下のように伝えている(部分引用)。

仏語「侮辱」,名誉棄損せず=石原都知事への請求棄却−東京地裁
フランス語を侮辱する発言で名誉を傷つけられたとして, フランス人男性ら91人が石原慎太郎東京都知事と都に謝罪広告と損害賠償を求めた訴訟の判決で, 東京地裁は14日,「発言は不適切だが,名誉棄損には当たらない」と述べ,請求を棄却した。
...
[時事通信(2007年12月14日)よりの一部引用]

「仏語は数の勘定できない」発言不適切 東京地裁 訴えは棄却
...
笠井勝彦裁判長は発言が不適切だったことは認めたが, 「原告の名誉を傷つけたとはいえない」として,訴えを棄却した。
 笠井裁判長は「フランス語に携わる人にとって, 不快感を与える発言で配慮を欠いている」として, 石原知事の発言が不適切だったことは認めた。 一方で「特定の人に対する発言ではなく,原告の名誉を傷つけたとはいえない」と判断した。
...
[産経新聞(2007年12月14日)よりの一部引用]

2.4. 第1発言に関する原告と被告の主張

ここでは,第1発言に絞って,判決文を検討してみよう。 左側に原告側の主張,右側に被告側の主張を載せ,対比できるようにしたた め,原文とは当然改行の位置が異なっている。また,丸数字は, 「機種依存文字」であるため,使用を避け,[1] のように書き換えてある。

2 争点1・名誉毀損等及び業務妨害の有無
(原告らの主張) (被告らの主張)
(1) 名誉毀損等 (1) 原告らの主張(1)に対して
ア 原告らは,フランス語を前提事実 (1)ア記載のとおりの関係を有し,い ア 本件第1発言は,フランス語における数の数え方の特殊性を誇張して評
ずれも自らの生活の基盤としてフランス語と日々積極的にかかわり,これを 価したにすぎず,人に対する事実の摘示あるいは評価の表明ではないから,
生きがいとしている者である。また原告36は,都立大学のフランス語教員 原告らの名誉を毀損し,又は名誉感情を傷付けたとはいえない。
であり,同52は,同教員であった者である。  仮に本件第1発言が人に対する評価といえるとしても,特定の個人を対象
  とした表現行為ではない。本件第1発言は,一般人をしてその発言の対象を
  原告らであると理解させる内容ではないから,原告らの名誉を毀損したとは
  いえない。
イ 本件第1発言は,一般人の普通の注意と聴き方を基準として聴けば,[1] イ (本件第2発言及び本件第4発言に関するものなので,ここでは省略)
フランス語は数を勘定することができない言葉である,[2] フランス語は国  
際語として失格しているとの事実(虚偽の事実)を摘示するものである。  
 かかる事実の摘示は,原告らが低俗な言語文化に属する国民(人種)である  
との印象を与えられ,フランス語を母語として話すことやフランス語社会の  
一員であったり,フランス語学校を経営し,フランス語を研究及び教授し,  
それを業務の手段とし,あるいはこれを学習している価値を貶められ,フラ  
ンス語を日常生活の基盤としている原告らの社会的評価を低下させ,また,  
名誉感情を傷付けるものである。  
(2) 業務妨害 原告らの主張(2)に対して
 被告石原の本件第1発言は,東京都民に対し,上記の(1)及び(2)の事実を  否認する。
示すものであるが,同事実は虚偽であり,虚偽の事実が真実であるかのよう
な印象を持たせるものである。これを真実と誤信した者が,フランス語学校  
に入学してフランス語の学習をする意思を喪失するおそれがあり,フランス  
語学校が生徒の募集を受ける機会を失わせるものであるから,原告1,3,12,  
ないし21,63ないし66,76,83,86及び88ないし90の業務を  
妨害するものである。  
(3) 被告らの主張(1)アに対する反論  
 本件第1発言は,フランス語を誹謗中傷するものであると同時に,フランス  
語と密接な関係を有する人に対する発言である。したがって,本件第1発言は,  
人に対する発言といえる。  
 また,本件第1発言の内容は,一般人をしてその被害者がフランス語と密接  
な関連を有する原告らであると理解することができる程度に被害者を特定して  
いる。  
3 争点2・損害及びその回復の方法 (ここでは省略)
4 争点3・被告石原の責任の有無
(原告らの主張) (被告らの主張)
国家賠償請求が認められている場合でも,本件は,被告石原が非権力的な公 被告石原は不法行為を行っていない。
務について,正当な職務行為といえない行為を行った場合であるから,公務  
員個人たる被告石原の責任も追及することが可能である。  
5 争点4・違法性阻却事由の有無
(原告らの主張) (被告らの主張)
フランス語は数を数えることができ,国際連合における公用語であるなど国際語 本件第1発言,本件第4発言は,いずれも事実を摘示するものではなく,批判・
としても失格していくとはいえないから,本件第1発言は真実に反する。 論評であって,都立4大学の廃止,首都大学東京の設立・構成,首都大学東京に
 また,東京都立大学における平成15年度の仏文学専攻進学者は,昼間部に転 仏文学専攻課程を設置しないとの方針とそれに反対する者に対する批判であり,
部等による進学編入者1名,学資入学者*注32名,夜間部に人文学部夜間部から 公共の利害に関する事実について,東京都の財務内容に資するという専ら公益を
の進学者3名,転部等による進学者1名の希望者がおり,大学院修士課程入学者 図ることを目的とする発言である。
も5名いる。したがって,本件第2発言ないし本件第4発言の内容は真実に反す  本件第1発言は,フランス語の数え方の特殊性に言及したものであり,真実で
る。特に,本件第4発言は,原告36及び52ら人文学部仏文科教員の講義を受 ある。また,都立大学昼間部学部生においては,仏文学の専攻課程は2年生進級
ける学生が1人もいないとの印象を一般人に与えるものであり,真実との隔たり 時に選択することとされているところ,平成15年度における新2年生の仏文学
は大きい。 専攻選択者は0人である。本件第2発言ないし第4発言の主要な点は,教員の数
  に比してアンバランスなほどフランス語専攻者が少ないことであるから,本件第
  2発言ないし本件第4発言はその主要な点において真実であるということができ
  る。そして,本件第1発言ないし本件第2発言は,人身攻撃に及ぶなどの意見な
  いしは論評としての範囲を逸脱したものではない。
   したがって,本件第1発言ないし本件第4発言が仮に社会的評価を低下させる
  発言であるとしても,違法性を欠く。

*注3  「学資入学者」は,「学士入学者」の誤りと推察される。

2.5. 第1発言をめぐる裁判所の判断

以下,第1発言をめぐる裁判所の判断を引用する。なお, 一部の固有名詞は,X,Y と書き換えてある。 第1発言以外の発言にも部分的には言及されているが, 敢えてその部分だけを削除することはしていない。 また,それぞれの部分に対して,コメントがある場合には,「一言語学者の判断」 という囲みで,引用の後に記した。

第3 当裁判所の判断
 1 争点1・名誉棄損等及び業務妨害の有無について
 (1) 本件第1発言について

 ア 「フランス語を昔やりましたが,数勘定できない言葉ですからね。これはやっぱり国際語として失格していくのは,むべなるかなという気がする」との発言部分(以下「本件第1発言前半部分」という。)について

(ア)名誉毀損の点について
 a. ある発言が社会的評価(品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価)を低下させるか否かを判断するに当たっては,これを聴く一般人の普通の注意と聴き方を基準として判断するのが相当である。

 b. 本件第1発言前半部分は,その発言の前においても被告石原が高校時代にフランス文学を勉強することを志していたことに言及していること及び被告石原のフランス語に対する発言時点における認識を示した,意見ないし論評の表明のような形式がとられているものといえる。

一言語学者の判断 (LV-1)
「フランス語を昔やりましたが,」--- 経験を述べている部分。 「が」を使って,次の文に続けているが, 「数勘定できない言葉ですからね。」の部分は, 経験に裏打された理由・話者の判断を述べる文と解釈できる。 なぜなら,「から」が使われているから。 文末の「ね」は,終助詞で,一般的には, 「相手を引き込むような気持ちで注意を引きつけるのに使」われるが,ここでは,むしろ, 「ぞんざいに言い放つのに使う」用法。例えば, <そんなこと知らないね>の「ね」。(『明鏡国語辞典』 2003:1269)

 c. しかし,フランス語が数を勘定することができない言葉であるか否か,国際語として失格していくか否かは,証拠等をもってその存否を決することが可能な事項であって,これを単なる意見ないし評論の表明であるとすることはできない。そして,証拠(甲27ないし32,40,42ないし46,第1,3事件原告X,第2,3 Y)及び公知の事実によれば,フランス語には二十進法や六十進法の考え方が残っており,伝統や文化の相違などから一般的日本人が容易に理解することができない面があるとしても,フランス語自体が決して数を勘定することができない言葉などではないことが明らかであるし,世界各国において多数の人がフランス語を母語などとして使用しており,現に国際連合の諸機関やオリンピックなどの国際競技大会等においてもフランス語が広く公用語として使用されていることが認められるのであって,このような言語を国際語として失格していくなどとは到底いうことができない。また,本件第1発言は都立4大学の廃止,首都大学東京の設立等という公共の利害に関する事実について,反対の立場に立つ者に対する批判として言及されたものであるところ(被告らもこれを認めている。),被告石原は,被告東京都の知事という公の立場に在り,かつては自らもフランス語を学び,フランスの作家の作品を翻訳したことがあるほどの学識を有している(別紙8発言目録3及び別紙9発言目録4)ことからすれば,本件第1発言前半部分は,フランス語に関する事実を摘示したものというべきであって,被告石原の認識を修辞上胡蝶したにすぎないものであるとはいえない。したがって,本件第1発言前半部分は,単なる意見ないし論評の表明であるということはできず,また,これを真実であるとか,被告石原において真実であると信ずるについて相当の理由があったとすることはできない。

一言語学者の判断 (LV-2)
確かに,「フランス語が数を勘定することができない言葉である」 かどうかは,証拠をもって存否を決められることである。

「フランス語が数を勘定することができない言葉である」 というのは,一般的言明(普遍量化詞を含んでいる)であり, 「どんな人でもフランス語を使うことで,数を勘定することができない」 と言い替えられる。

しかし,現実に「フランス語を使って,数を勘定できる人は存在する」 のは自明な事態である。従って,この一般的言明は偽である。

さらに,皮肉なことに,実は被告石原は, フランス語で数を勘定できる。それは, 石原慎太郎東京都知事・記者会見(2005年7月15日)で, TBSのタカシマ氏の質問に対し, 逆にフランス語での数の数え方を教えている場面からも明らかだ。 つまり,「フランス語が数を勘定することができない言葉である」 と発言した本人が,フランス語で数を勘定している, という矛盾が生じている。なぜか?

それは,なだいなだ氏が,「おーい石原君」(『ちくま』,筑摩書房,2007年4月号 P.2.) で指摘しているように,自分がフランス語ができることを「見せびらかしたかった」 から,というのが1つの説明となる。もし,この解釈が正しいなら, 第1発言の前半部分は, 「フランス語に関する事実を摘示したものというべきであって, 被告石原の認識を修辞上胡蝶したにすぎないものであるとはいえない。」 という裁判官の判断は表面的であり, この発言の中心的命題は, 「私は(あの複雑な数の数え方を含めて)フランス語ができるんです。」 という会話の含意(conversational implicature)である。この部分を補うと, 第1発言の前半部分は次のようになる。

「フランス語を昔やりましたが, 普通の人にとって フランス語は,簡単に数勘定できないような言葉ですからね (でも,もちろん私はできますがね)。 これは (普通の人だと覚えて使うのが大変だから) やっぱり国際語として 普通の人が間違えずに簡単に使える言語としては 失格している/くのは,むべなるかなという気がする。」

 d.  もっとも,本件第1発言前半部分は,フランス語に関するものであって,特定の個人に対するものではない上,これが真実でないことは明らかであるといえる。したがって,このような発言がされたからといって,原告らを含む特定人の社会的評価を低下させることにはならない。
 したがって,本件第1発言前半部分は原告らの名誉を毀損するものであるとはいえない。

一言語学者の判断 (LV-3)
第1発言前半部分だけを取り出して考えれば, フランス語に関する一般的言明であるが, この発言がなされた文脈は, 「首都大学東京」構想に反対していたフランス語教員に対しての誹謗中傷の一環としてなされたことは明らかで, それは,第1発言後半部分 (「そういうものにしがみついている手合いが結局反対のための反対をして。」「笑止千万な。」) からも分かる。

「そういうもの」は,「フランス語」を指示しており, 「そういうものにしがみついている手合い」は, 「当時の東京都立大学フランス語教員」を指示している。 また,「笑止千万」とは, 「言動が愚かしく,話にもならないほどであること。」(『四字熟語辞典』2001,学研) を意味する表現で,特定の人あるいは, その人の言動を対象に使われる表現である。

従って,第1発言前半部分の解釈は, 第1発言後半部分によって決定されており, 第1発言前半部分だけを取り出してその意味を論じるのは間違っている

 (イ) 名誉感情の侵害の点について
 a.  上記認定判断のとおり,本件第1発言前半部分は,フランス語に関する事実を摘示したものであるといえる。

 b.  このような事実の摘示は,それがフランス語に対する否定的印象を一般人に与えるもので,しかも真実ではないことにかんがみれば,フランス語に何らかの形で携わる者に対して,不快感を与えることは容易に想像することができ,本件第1発言前半部分は多分に配慮を欠いた発言であったということができる。しかし,不快感を与え,配慮を欠いた発言であるというだけでは,直ちに原告らを含むフランス語に携わる特定人の名誉感情を侵害するものとはいえない。

一言語学者の判断 (LV-4)
刑法230条,2.名誉毀損罪では,「公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損したものは,その事実の有無にかかわらず,3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。」となっている。
(参照 http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi/

当裁判では, 第1発言前半部分が「事実の摘示」であると判断し,さらに, それが真実でないことを認め, 「多分に配慮を欠いた発言であった」ことを指摘しておきながら, 「不快感を与え,配慮を欠いた発言であるというだけでは,直ちに原告らを含むフランス語に携わる特定人の名誉感情を侵害するものとはいえない」 と判断している。
しかし,LV-3 で指摘したように, 第1発言前半部分の解釈は, 第1発言後半部分に依存しており, 第1発言前半部分は, 発話の対象となる「特定の人達」の存在を前提として, 第1発言後半部分への背景的知識を構成している。 従って,上記の言葉を使えば,「特定人の名誉感情を侵害することを意図して」発話された, と解釈するのが自然である。

 c. 業務妨害の点について
 上記認定判断のとおり,本件第1発言前半部分は,フランス語に関する事実を摘示したものであり,それが被告東京都知事という立場に在る者によってされたことからすれば,フランス語を学ぼうとする者に対し,フランス語に対する否定的印象を与え,その学習意欲をそぐことも懸念されないではない。しかし,本件第1発言前半部分が真実でないことは明らかである上,これによってフランス語を学ぼうとする者が実際に減少したことなどを認めるに足りる証拠はない。
 したがって,被告石原による本件第1発言前半部分の発言は,原告1,3,12ないし21及び63ないし66,76,83,86及び88ないし90に対する業務妨害の不法行為となるとはいえない。

一言語学者の判断 (LV-5)
第1発言 は, 一般人によって個人的になされた発言ではなく,東京都知事という身分の者が, 東京都知事という公式の肩書のもとで, 首都大学東京の支援組織である「Tokyo U-club」 の立ち上げに際してのパーティーで行なった祝辞の中でなされたものであり, しかも「Tokyo MX テレビ」で中継されていたことから考えても, その影響は無視できないほど大きなものであった,と考えることができる。 この観点から見て, 第1発言に含まれる 「フランス語は数勘定できない言葉だ。」 「国際語として失格している。」 という情報は,本来の東京都知事が含意したことではないにもかかわらず, フランス語をまだ学んだことがない人々に大きな影響を与えることは, 十分に推察できる状況が存在したと言える。

 イ  「そういうものにしがみついている手合いが結局反対のための反対をして。」「笑止千万な。」との発言部分(以下「本件第1発言後半部分」という。)について

 (ア)名誉毀損の点について
 a.  本件第1発言後半部分を,一般人の普通の注意と聴き方を基準とし,被告石原がその発言の前後において都立4大学を再編して首都大学東京を設立する課程で反対があったことに言及していることを斟酌して聴けば,上記部分は,フランス語にしがみついている都立大学の教員が首都大学東京の設立構想に反対のための反対をしていたとの事実の摘示と,それに対する被告石原の評価を交えた意見が表明されたものであると理解することができる(なお,首都大学東京の設立経緯や被告石原のこれに関する言動等に対する様々な抗議行動等があったが,かかる事実は一般的に知られていた事実とはいえないから,発言の解釈に当たって斟酌するべきではない。)。したがって,本件第1発言後半部分は,都立大学のフランス語教員を対象とする発言であると一般人には理解されるものといえる。

一言語学者の判断 (LV-6)
「(なお,首都大学東京の設立経緯や被告石原のこれに関する言動等に対する様々な抗議行動等があったが, かかる事実は一般的に知られていた事実とはいえないから,発言の解釈に当たって斟酌するべきではない。)」 との判断は, 2003年10月8日から2005年3月13日までに,確認されたものだけでも 210件の関連した新聞記事が掲載されている事実をもって判断すれば, 様々な抗議行動等が「一般的に知られていた事実とはいえない」という判断は, 極めて疑わしい

 b.  本件第1発言後半部分が原告36及び52の名誉を毀損するかについて検討するに,同原告らはいずれも本件第1発言がされた当時は都立大学のフランス語教員であったが(甲29,第2,3事件被告 Y),一般人の普通の注意と聴き方を基準とすれば,「反対のための反対をしていた」との文言は,その反対自体を消極的又は否定的に評価する意味で用いられているが,その内容は具体性を欠く上,対立する意見を表明する者同士が相手方を否定的表現を用いて批判することは通常みられるところであり,上記文言は,そのような批判の範囲を逸脱するものとまではいえない。本件第1発言後半部分の上記文言の前後における「しがみつく手合い」や「笑止千万」は,上記文言による否定的評価をより強める役割を果たしているといえるが,これを含めて本件第1発言後半部分が原告36及び52の社会的評価を低下させるものとはいえない。
 したがって,本件第1発言後半部分は同原告らの名誉を毀損するものであるとはいえない。

一言語学者の判断 (LV-7)
LV-3LV-4 で指摘したように,第1発言後半部 は,第1発言前半部 の解釈を決定する文脈として機能している。
「反対のための反対をしていた」とは, 「X のための X をする」という形式であり, 「X のための」という「目的」と,「X をする」という行動が同一である, というのが文字通りの意味(literal meaning)であるが, 普通,「ある行動の目的は,別に存在する」という要請から外れているため, 「無意味な行動をしている」という言明の遠回しな表現であると解釈できる。 つまり,LV-3 で指摘した解釈と併せると, 第1発言後半部 は,次のように言い替えられる。

「フランス語にかかわっている(当時の)東京都立大学フランス語教員は, 無意味な行動をしている。その言動は愚かしく,話にもならないほどだ。」

そして,「その無意味な行動/言動」とは, 判決資料にもあるように,首都大学東京設立に対する,数多くの反対声明や, 論説,集会等であることは明らかであり,十分に具体的な「行動/言動」 を指示している。従って,第1発言後半部 は,原告の社会的評価の低下に直接つながっているものである。

 (イ) 名誉感情の侵害の点について
 本件第1発言後半部分は,消極的又は否定的意味の強い表現を用いており,都立大学のフランス語教員が不快感や怒りを覚える表現であって,そのような表現を用いることが必ずしも適切であったとはいえない。しかし,上記のとおり,本件第1発言後半部分は,発言の対象者についての具体的な特定がなくその内容も具体性を欠き,批判の範囲を逸脱した表現とまではいえないものであり,また,対立する意見を表明する者が相手方を批判すれば,批判された者が不快感や怒りを覚えるのは通常であり,そのことをもって直ちに法的保護に値する名誉感情の侵害があったとすることはできない。

一言語学者の判断 (LV-8)
LV-1からLV-7 の判断によれば,第1発言は, 東京都知事という公職にあるものが,公的な立場で,公の場で行った 不適切な発言であり,その発言の対象者は,その発言の本意からすれば 「東京都立大学のフランス語教員」であることは特定でき, また,その発言が含む具体的情報(「フランス語は数勘定できない言葉だ。」 「国際語として失格している。」)は, フランス語を学ぼうとする者に対して学習意欲を削ぐような重大な影響を与えた,と考えられる。 総じて, 第1発言は,フランス語を教授・研究する者に対して, 単なる批判の範囲を逸脱した発言であったと考えられる。

 (ウ)  業務妨害の点について
 本件第1発言後半部分は,上記のような内容であり,これをもって原告1,3,12ないし21,63ないし66,76,83,86及び88ないし90の業務を妨害するものといえないことは明らかである。

3. 失言と暴言

言葉は,時として剣よりも強い(The pen is mightier than the sword.)。 それは,実際の暴力(腕力,軍事力)よりも,人間の声(説得,世論)の方が勝ることがある, という意味だが,言葉は時として,暴力となる。 言葉は,時として,人の心に突き刺さり,他人の心をずたずたに引き裂く。 そして,その力は目に見えない状態で進行する。

政治家は,しばしばその失言で話題になり,失墜する。
「失言」とは,「言うべきことでないことを,うっかり言ってしまうこと。 また,その言葉。」(現代国語例解辞典第二版,P.545)である。

「失言」と言えば,久間前防衛大臣が,辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。 2007年6月30日,ある講演会において, 第二次世界大戦での米国の原爆投下について「あれで戦争が終わったんだ」 「(投下は)しょうがない」 などと言ってしまい,マスコミを賑わした。 「立場上,言うべきことでないことを,うっかり言ってしまう」 と辞任に追い込まれる,という構図があるが, その背景には, 失言内容が,「実は,本心であり」, 「公言すべきでないことを本人も(うすうす)気がついている」 という状況が隠されているからだ。

なだいなだ氏は,このような「失言」と「暴言」の関係を見事にに特徴づけている。

いうのはまずいなと思っていながら,こころにあるものだから, うっかりしてもらしてしまうのが, あるいはもらしてからすぐ気がつくのが失言。 それに対して,ぜんぜん悪いと思っていないでいうのが暴言です。
(「おーい石原君」『ちくま』(筑摩書房)2007年4月号 P.2)

「ぜんぜん悪いと思っていない」でなされるのが暴言であるとのことだが, そうすると,「悪いと知りつつも言ってしまう」失言が追及され, 「悪いと思わずに,悪いことを言ってしまう」暴言が追及されない, というのは変ではないか。

暴言とは, 「礼を失した乱暴な言葉。無礼で,むちゃな発言。」(大辞泉) であり,「吐く」ものだ。 また,妄言と書いて,「もうげん」と呼ぶこともあるが, 「根拠もなくみだりに言う言葉。でまかせの言葉。」(同上)でもある。

悲しいかな, インターネット新聞JANJANに掲載された( 2004年10月29日) 「首大」設計者達の暴言と慣らされてしまった人達 が指摘するような状況が今の日本にはある。

しかし,なぜこのような暴言を吐くのだろうか? それは,冒頭に述べたように, 暴言を吐くと,聞いた人が反応してくれるからだ。 汚く罵れば罵るだけ世間が注目してくれる,そういう構造があるのではないか。 そして,その内容が事実と違っていても,面白がって傍観しているだけ。

「目立つ」ことをして, 「人気をとりたい」から過激なことを言う。 人々が反応するまで,挑発的な言葉を使い続ける。

こういう暴言を吐く人達は,失言する人達よりも罪が重い。 知らず知らずの内に,麻痺した人々の心の中に入り込んで, 常識はずれたことを常識のように思い込ませる「麻薬」をまき散らしているからだ。

4. 結び

ウナギ組の話を思い出してほしい。 第一話 のように,集団の中で,一個人を攻撃するのは,卑劣なやり方であり, これはイジメである。 では 第二話 のように,不特定多数に対しての呼びかけは, 発話対象が不特定多数だからといって放置してよいものだろうか?

仮りにもウナギ組のリーダーが公の立場で, 公の場で発言しているところに,まず問題がある。 発言内容は,多くのウナギやヤツメウナギに影響を与えるからだ。ここでは, その発言の, は か り 知 れ な い 影響力が問題なのだ。 ウナギ組リーダーの信太は,八目鰻(やつめうなぎ)のことを 「俺たちウナギの仲間じゃあない」と言っているが, その区別は,確かに生物分類上は正しい。 しかし,ウナギ組の正式構成員であるヤツメウナギを前にして, 言うべきではない事柄だ。

「本当は1つしか目がない」というのは,事実に反する (本当は,2つ目がある)。 「その8つのえら穴が『目』に見えることが問題なんだ」 というのも間違いで,「目の後ろにえら穴(外鰓孔)が7つある」 のだ。このような発言をリーダーたるウナギが, そのグループの眼前でしてよいわけがない。

リーダーたるもの,間違ったことを公の前で言ったら,謝罪して訂正するのが常識だろう。 これは,本来,法律以前の問題である。
「政治家が間違ったことを言って,謝罪もせず,訂正もしないで済まされる」 という社会は,民主主義社会ではない。 その間違った発言で,侮辱されたと感じた人達を救う手だてがない, というのは明らかにおかしい。

そのような暴言を吐くリーダーを法で裁けないとしたら, 民主主義社会において,どこか法に不備がある, ということにはならないだろうか。

人は例外なく間違いを犯す。間違った発言をすることもある。 間違ったら謙虚に間違いを認めて,謝罪し訂正するのは常識である。 ましてや公の立場にある者は,なおさら「謙虚さ」が求められる。 しかし,石原東京都知事は,今回の判決後,記者会見において 「フランス大使も私が言ったことは正しいと言っていた」 という発言をした,と伝えられている。本当だろうか? いったい,フランス大使は,実際に何をいったのだろうか? この石原東京都知事の発言は,新たな「刺激的な言葉」であり, そこには謙虚さの微塵もない。 おそらく,本人は第一発言が「間違った発言」 ではなかった,と今でも確信しているのだろう。

私たちは,公の立場にある者に「過激な言葉」,「刺激的な言葉」を求めてはならない。 「暴言を吐く」ことと「表現の自由」はまったく別物である。 間違った発言をして,謝罪も訂正もしない政治家を, 私たちは見過ごしてはいけない。積極的に排除すべきである。 そのためには,裁判に訴えることも必要になる。 「フランス語裁判」は,そんな一つのモーメントだと思う。

裁判に訴えるためには,勇気と決断,時間とお金が必要だ。 さらに,サポートする弁護士,応援する一般人が欠かせない。 聞くところによると, 2007年12月14日の判決を不服として,年末に上告の手続きがとられたそうだ。 しかし,弁護団はとうに「手弁当」状態になっているとのことだ。 今後も, 「フランス語裁判」のカンパ で,協力できる人達は是非,協力してもらいたいと思う。 日本が,「失言を裁けても暴言を裁けない国」 とならないためにも。