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top [2005/06/15] 大学教育・研究に携わる者と政治

2005年6月15日<action>

大学教育・研究に携わる者と政治[2005/06/15]

0. イントロダクション
今回は、あるメーリングリストに流れたメールの引用で始めたい(発信者の了解済み)。

 「そんな『政治的』と人に見られるようなことはしたくない」とお考えの方も多いかと思います。(かく言う私も最近身に覚えのない「政治的意図」を捏造されいやな思いをしたところです。)しかし、今の日本に蔓延する「『政治的』と見られること恐怖症」こそが、日本の政治をここまで救いがたい状況にしてしまったひとつの大きな原因ではないでしょうか。

 「ひとたび権力を握った者は、どんな滅茶苦茶なことをしてもやったもん勝ち」というこの状況の中でこそ都立大の「破壊」はかくもやすやすと可能になったのであり、その状況を生み出した責任の一端は、「『政治的』なことには関わらないのが無難・得・賢明」という私たちの姿勢にあるのではないでしょうか?

「人に『政治的』と見られたくない」という心理は、今の日本に蔓延していると感じる。上のメールの発信者の言葉を借りれば、 「『政治的』と見られること恐怖症」が、日本に蔓延(はびこ)っている。 みなさんは、「私は、XX党支持者です」と胸をはって公言できるだろうか? はたまた、「今の小泉政権のYYという政策は間違っている」と明言し、 その政策の反対集会に参加するのにためらいを感じないだろうか? 「今度の選挙では、◯△ □◇さんに投票してね」なんて、言えますか? 私は、実は大いにそのような<ためらい>を感じてこれまで生きてきた。

1.  なぜ私は「政治的に見られたくない」か?
理由は2つある。最初の理由は、教育者として、教育の現場で、学生に対して特定の政治的考えを押しつけてはならない、というのが私の信条だからである。信条だからというだけでなく、21年間国立大学、公立大学で教鞭を取ってきたという背景から、公務員に対しての制約として、政治活動が制限されていることを意識してきた。 もう1つの理由は、「政治的人間である」と烙印を押されるのが怖かったから。 実際に、<政治的>と烙印を押された人達は、さまざまな状況で不利な立場に追い込まれているのを見てきた。自分は、あのような烙印を押されて不利な立場に追い込まれたくない、そんな自衛本能である(いささか古い言い方をすれば、 以下に述べる「マイホーム主義」の延長と考えられる)。

その一方で、学生相手でなければ、政治問題に関して、自分なりに理解している範囲で発言する。家庭の中では、妻や子供の前でも、私は政治問題を話題にする。 政治にまったく無関心な「ノンポリ」(non-political)ではない。 今では、子供達もそれなりに政治に対しての関心があり、時には、私と意見が合わずに議論になることもある。

大人になって、社会の一員として、それなりの働き場所が決まると、 「自分の生活を守る」ことに価値が置かれる。結婚し、子供が生まれれば、 その自衛する対象が、個人から家族へと広がる。そして、「守るべきもの」がある人は、当然、社会の中で自分の身を危険にさらすことから遠ざかって行く。 「家族を守る」ことこそ、最重要課題となり、いわゆる<マイホーム主義>の完成である。

自分の雇用者が、とんでもない要求を突きつけてきても、「家族を守る」ためには、敢えてそれを黙って受け入れる人もでてくる。「そんな要求は不当だ」 と、家族も顧みず戦いを挑む人もいるだろう。単純化して言えば、 そこが正に分かれ目なのだ。

2.  今の日本の政治的状況
冒頭の引用にあったように、「政治的に見られたくない人が増加する」と、 本当に「政治を救いがたい状況に」してしまうのだろうか? その因果関係を考えるためには、今の日本の政治的状況の分析がある程度必要になる。 ここでは、本格的な分析はできないので、普段から感じている疑問と、それに対しての私の個人的判断をまとめてみた。

  1. 今の日本の政党政治は、国民の声を代表しているか? --- NO.
  2. 選挙において、国民一人一人は立候補した人の政治信条を理解して投票しているか? --- NO.
  3. 今の政党政治、議会政治の仕組みの中で、立候補した普通の人が当選する確率はどれくらいあるのか? --- ほとんどない。
  4. 今の政党政治、議会政治の仕組みの中で、当選した議員が自分の信条に基づいて政治活動ができる余地はどれくらいあるのか?
    --- ほとんどない。

賛否両論あるかと思うが、上の4つの疑問に対して、すべて肯定的に答えられる人は少ないのではないだろうか。これが、政治に対しての諦めの境地(=「政治はよくならない」)を深いところで生み出している原因だと思う。

  ・「政治はよくならない」から、何を言っても駄目だ。
  ・「政治はよくならない」から、誰が当選しても同じだ。

しかし、これは本末転倒である。本来は、こうなるはずだ。

  ・国民みんなが声を上げないと、政治はよくならない。
  ・誰かきちんとした人を当選させないと、政治はよくならない。

現代日本の政党に魅力を感じない人も多いだろう。だからといって、自分で政治家になり、政党を作るなんてことは、普通ではできない。
では、どこから始めたらよいか? --- 答えは、選挙投票である。

3.  選挙の時に何をなすべきか?
投票に行って、「慎重に立候補者を選びましょう!」 と言ってもむなしいだけである。では何が必要か? 以下の2点は、私の今の時点の考えである。

  (A) 立候補している人のことを知っている人は、その情報を公開する( 個人的知り合いで、いい人だ、というような情報ではなく、どのような政治信条を持ち、これまでどのような社会的貢献をしてきたか、どのような政治活動をしてきたかに関する、具体的判断材料となる情報が必要だ)。
  (B) きちんとした人を見つけて投票する(良さそうだ、とか、あの人、名前を知っている、というレベルの情報しかないのなら投票するべきでない)。

なんだ、やっぱり当たり前のことじゃないか、と思うかもしれない。 以下に、(A)の具体例として、東京都立大学に関する陳情に関して、2004年2月19日開催の都議会文教委員会の、どの党の誰が反対したかを示そう(請願は保留となっているので、省略する)。願意の中身を読んで頂ければ分かるが、これほど自明なことですら、自由民主党、公明党、民主党の都議会議員は、こぞって反対したのだ。 当時の東京都大学管理本部の説明を真に受けて、何の質問もせずに反対した人々の名前をよく覚えておく必要がある

陳情 15第88号 12月12日提出 荻野綱男他13名
願意
 次のことを実現していただきたい。
1 都立新大学の構想について、現在都立4大学とその大学院に在籍、在職する学生・大学院生及び教職員に対し、大学管理本部が各大学において直接説明する場を設けること。
2 東京都の新大学構想の中身を検討する教学準備委員会等の議事録を作成し、関係者に公表すること。
結果 不採択
 採択に賛成: 曽根はじめ(日本共産党)、福士敬子(自治市民'93)、山口文江(生活者ネットワーク)
 採択に賛成しない: 石川芳昭(公明党)、臼井孝(自由民主党)、 遠藤衛(自由民主党)、大塚隆朗(民主党)、野上じゅん子(公明党)、 松原忠義(自由民主党)、村上英子(自由民主党)、山下太郎(民主党)、 山本賢太郎(自由民主党)、樺山たかし(自由民主党)

陳情 15第89号 12月12日提出 開かれた大学改革を求める会(代表:西川直子)
     賛同署名として、第1回集計21,278筆、第2回集計8,387筆、計29,665筆を添付
願意
 次のことを実現していただきたい。
1 新大学に関して、大学管理本部が平成15年8月1日以降に発表した構想を見直し、その非民主的な準備態勢を改めた上で、都立4大学のすべての構成員と開かれた協議を行うこと。
2 新大学への移行に先立ち、新大学設立以前に都立4大学に在籍する全学生の学習権を十全に保障することを確約し、その具体的な方策を提示すること。
結果 不採択
 採択に賛成: 曽根はじめ(日本共産党)、福士敬子(自治市民'93)、 山口文江(生活者ネットワーク)
 採択に賛成しない: 石川芳昭(公明党)、臼井孝(自由民主党)、遠藤衛(自由民主党)、大塚隆朗(民主党)、野上じゅん子(公明党)、松原忠義(自由民主党)、村上英子(自由民主党)、山下太郎(民主党)、山本賢太郎(自由民主党)、樺山たかし (自由民主党)

都議会文教委員会は2004年12月14日、「首都大学東京」開学に関連し、都立4大学の学生や教員らが提出していた請願・陳情4件について、いずれも賛成少数で不採択とした。その時の、都議会文教委員のメンバーは以下の通り。
自民<村上 英子(副委員長),古賀 俊昭(理事),臼井 孝,遠藤 衛, 山本賢太郎,比留間敏夫>
民主<花輪ともふみ(副委員長),小林 正則>
公明<野上じゅん子(理事),石川 芳昭>
生活者ネットワーク< 山口 文江(理事)>
共産<池田 梅夫(委員長),木村 陽治>
自治市民’93<福士 敬子>

そして、この12月14日、大学の学生や教員らが提出していた請願・陳情の不採択側についたのは, 自民(6),公明(2),民主(2),生活者ネットワーク(1)だった。 採択側は,共産(2)と自治市民‘93(1)で,全体では 3/14 でしかなかった。

上記の事実を見て判断すると、都立大学の教員や学生の切実な声を聞いてくれなかったのは、自由民主党、公明党、民主党であるのは明らかだ。公明党は、それでも話を聞いてくれたし、請願の時には相談にのってくれた議員もいたが、自民党も民主党も都議会では、あの週に2〜3回しか登庁しない石原慎太郎東京都知事(と強権の浜渦副知事)と一体になって行動していたようであり、 まったく大学の教育問題、大学の研究体制の良し悪しを考えてくれなかった

さて、最後に、
(B)  きちんとした人を見つけて投票する(良さそうだ、とか、 あの人、名前を知っている、というレベルの情報しかないのなら投票するべきでない)。

これにも異論のある人はいると思う。趣旨は、こうだ。 近年の立候補者を見ていると、二世議員、三世議員や、タレント議員が多いことは誰でも分かるだろう。彼らは、名前が知られていて、選挙では明らかに有利である。しかし、本当に、どのような政治信条を持っているのか、これまで、 どこでどのような発言をして政治活動とかかわってきたのか、分からない場合には、投票すべきではない! もし、自分の選挙区で、そのような人達ばかりになったとしたら(あまりあり得ないとは思うが)、その際には、棄権票を投じる方がましである。

4.  そして、今、都議会議員選挙目前
こちらとしては、情報を提供した。 後は、(教員も選挙権のある学生も含めた)都民の投票のみである。 「『政治的』なことには関わらないのが無難・得・賢明」というのではなく、 都民である人達は、この事実を知って、判断して投票して欲しい。 もちろん、判断は個人個人に任されるが、 「ひとたび権力を握った者は、どんな滅茶苦茶なことをしてもやったもん勝ち」 というめちゃくちゃな政治をストップするためには、良識ある行動が求められる。 名前を知っているから、とか、有名だから、といったうわっつらの判断材料で政治家を選んだら、その政治家にその後、痛い目にあわされるかもしれないことを、肝に命じておくべきだろう。
 個人が、政治に関与するのは、正に選挙の時が第一歩なのである。 これは、教育研究に携わる者でも、もちろん、胸をはって行使できる政治活動のひとつなのである。さあ、ここから、スタート!


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