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教育基本法改悪を憂う[2006/05/05,05/07]

Heinrich Heine
Ich hatte einst ein schönes Vaterland....

Ich hatte einst ein schönes Vaterland.
Der Eichenbaum
Wuchs dort so hoch, die Veilchen nickten sanft.
Es war ein Traum.

Das küßte mich auf deutsch, und sprach auf deutsch
(Man glaubt es kaum
Wie gut es klang) das Wort: »ich liebe dich!«
Es war ein Traum.
Aus: Gutenberg-Projekt, http://gutenberg.spiegel.de/heine/gedichte/hh000077.htm

1 「思考回路1」価値観の崩壊と,フツーの人

多くの伝統的価値観が崩壊している.

はっきりしているのは,「利潤追求を求めるための効率化は善」という価値観だけ.

「きもちいい」,「たのしい」,「おもしろい」 という感覚だけが,確かなものとして生き残る.

そんな中,本気で社会・政治・教育をよくしよう頑張るのは,
「無理だ」し「うざい」.

どうせ「どうあがいても変わらない社会」なら,
思い切って「たのしんで」自分の人生を過ごした方がまし.

他人なんてどうでもいい.

日本代表,がんばれー.

外国なんて負かしちゃえー.

日本チャチャチャ.日本チャチャチャ.

2 「思考回路2」価値観の崩壊と,一部の政治家たち

多くの伝統的価値観が崩壊している.

さまざまな社会問題も,この価値観の崩壊に原因がある.

日本には,日本の独自のすばらしい伝統的価値観があった.

今,その伝統的価値観が,失われつつある.

これは危機だ.

「日本の良さ」を復活させれば,現代のさまざまな社会問題も解決するはずだ.

そんな中,本気て社会・政治・教育をよくするためには,
法律を改正するしかない.

憲法を改正しよう.

教育基本法を改正しよう.

テロを防止するためには,何でもやっちゃおう.

共謀罪があれば,盗聴法があれば,国家の名のもとに, 何でもできちゃう.

国旗を掲げ,国歌を歌い,ニッポン万歳.

外国なんか,負かしちゃえ−.

日本チャチャチャ.日本チャチャチャ.

3  背景

多くの伝統的価値観が崩壊している.

それに追い打ちをかけるように,近年,さまざまな制度や組織が, その本当の価値を評価することもなしに,「改革」,「改正」という名の元に破壊されている. はっきりしているのは,「利潤追求を求めるための効率化は善」という価値観だけ. 「きもちいい」,「たのしい」,「おもしろい」という感覚だけが生き残る.

教育基本法の改変がなぜ今,急遽浮上してきたのかは, 思考回路2の文脈で理解されねばならない. そもそも民主主義社会では, 「民(たみ)が国を作っている」 という最低限の憲法に保障される理解があったはずだ. それが,今では,「国が民(たみ)を統制して当然だ」という世の中に変わりつつある.

理由はいくらでもある.
「テロが起きるのを防ぐため.」
「テロリストを捕まえるため.」
「凶悪犯罪を防ぐため.」
「社会秩序を守るため.」
「個人情報を保護するため.」
「失われつつある<日本の古き良き伝統>を復活させるため.」

このような大きな流れは,思考回路1 の存在を前提としているところがある.言い換えれば, 「今の日本なら何を法案として提出しても通る」 という与党政治家の計算だ.野党が弱く, フランスのように大きな抗議行動が起こって国を揺さぶる心配などまったくないので, 実に楽なのだ.

共同通信は,5月2日20時2分発信のヤフー・ヘッドラインで, 以下のニュースを速報した.

「文部科学省は2日、 小坂憲次文科相を本部長とする教育基本法改正推進本部を設置することを決めた。 大型連休後に国会で同法改正案の審議が始まるのを受けた措置。8日に初会合を開く。  本部長代理に馳浩副大臣、副本部長には河本三郎副大臣と政務官2人、 事務局長には結城章夫事務次官を充てるなど、今国会での成立に向けて文科省を挙げて取り組む方針だ。」

共同通信のニュースが伝えるように, 「同省が特定の法案のために大臣を本部長に推進本部を設けるのは異例」 であり,文部科学省が異様なほど教育基本法改正案の成立に力を入れていることが分かる. 「今のうちに,一気にやってしまえ!」 という意気込みを感じる.

では,どこがどう変わるのだろうか? 幸なことに, 「現行教育基本法と「教育基本法改正案」の比較」 がなされているサイトがあるので,そこで比較していただきたい.

4 愛国心の強要というナンセンス

まずは,いわゆる「愛国心の強要」問題から. この条項は,教育基本法案の第二条(教育の目標)の五にあるもので, これまでの教育基本法にはなかったものだ.

(教育の目標)第二条
五 伝統と文化を尊重し、 それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

冒頭のハイネ(Heinrich Heine, 1792-1856)の詩は, 突然思いついて引用したものではない.2006年3月22日,朝日新聞夕刊のコラム 「夕陽盲語」で加藤周一氏が一部引用した詩を全文として載せたものだ.

加藤周一氏が「愛国心について」というタイトルで展開した議論は, 説得力のある見事なものだ.以下に,冒頭のハイネの詩 を(ほぼ)直訳してみた (ドイツ語としては,簡単なものなので,初級の知識で十分理解できるだろう).

私には かつて 美しい祖国があった
あの樫の木は
そこに あんなに高く育っていた,すみれの花は やさしく うなずいていた
それは 夢だった

祖国は 私にドイツ語でキスをした そしてドイツ語で語った
(ほとんど 信じられないかもしれないが
それは とてもよい響だった) その言葉を:「わたしは お前を愛しているよ」
それは 夢だった

加藤周一氏による,この詩の背景説明:
「ハイネは若くして(34歳)フランスに亡命し,そこでこの詩を書いた。 青春の思い出の地=故郷=祖国ドイツは,今やはるかに遠い。 遠いからこそ苦難の多かった過去が美しくなったとしても不思議ではないだろう。」

ハイネにとっての祖国の内容とは(加藤周一氏によると):
「樫の樹とすみれの花とドイツ語の響き,─ これがハイネの祖国の内容であった。」
決して「その国のすべて」に「愛着を覚える」ことではない. この視点から,次のような意見が述べられる(部分引用).

私は「愛国心」について考える。 国の場合にかぎらず,その対象が何であっても ─ 神でも, 人でも,樫の木でも菩提樹でも,すみれでも野ばらでも, 「愛」は外から強制されないものであり, 計画され,訓練され,教育されるものでさえもない。
… 中略 …
 愛国心も例外ではない。 それを国家が「殊更」に「喚起」しようとするのは, 権力の濫用であり,個人の内心の自由の侵害であり, 「愛」の概念の便宜主義的で軽薄な理解にすぎないだろう。

これだけの引用では,加藤周一氏の論の全体を見通すことはできないが, それでも,骨子は上の引用で十分わかると思う. 「愛国心」を教育基本法に盛り込むことが, いかに見当外れで愚かしいことなのかが. 人は,他人に「愛せよ!」と命じられて,愛することはできない. また,学校教育によって「愛」を学ぶものでもない. 日本には,かつて「独自のすばらしい伝統的価値観」があった, というのも,一面では真実かもしれないが,現実には, すばらしいとは到底言えないような「差別意識」や 「階級意識」が過去に無かったとは言えないだろう.

必要以上に過去を美化し, 過去に戻れば社会が安定するというように考えるのは, 妄想にすぎない.

「愛国心」を植え付ける教育とは,いったい何なのか? 実際に,教育の現場で,教科書で,その「愛国心教育」 がスタートしたら, どんどん止まることなくエスカレートしていく危険性がある, と私は思う.そこでは,政治家やその他の 指導者達お得意の「法の拡大解釈」が登場するはずだ.

5 教育の「目的」と「目標」の違い

5 1 教育の「目的」がどう変わったか

まず,現行の教育基本法の目的を見てみよう. 原文は, ○教育基本法(昭和二十二年三月三十一日,法律第二十五号) にある.

第一条(教育の目的)  教育は、人格の完成をめざし、 平和的な国家及び社会の形成者として、 真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、 自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

これに対して,教育基本法案では,「目的」にとどまらず「目標」まで入り込ん でいる.ここでは,毎日新聞のサイト( 教育基本法改正:与党の「最終報告」案(全文) から,引用する.

第一条(教育の目的)  教育は、人格の完成を目指し、 平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた、 心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

ここでは,現行の教育基本法を(現),新たな改案を(案)とし,それぞれの内 容を簡単に分解して理解してみよう.

まずは,基本的に変わらない部分を押さえておこう.
(現)教育は,人格の完成をめざし
(案)教育は、人格の完成を目指し
(現)教育は、… な国民の育成を期して行われなければならない。
(案)教育は、… な国民の育成を期して行われなければならない。

そして変わった部分は,以下のところ.(現)にある 「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、 自主的精神に充ちた」の部分は,(案)の「目標」へと移動している. そして,注意すべきなのは,「として」の使い方である.

(現)平和的な国家及び社会の形成者として、 真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、 自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を…
(案)平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた、 心身ともに健康な国民の育成を…

(現)における「として」では「資格や立場を表わす」もので, 「国民」という名詞に接続している. いわば国民の「資格や立場」を,並列的に「平和的な国家及び社会の形成者」 であると表現していることになる.

これに対して,(案)では,「として」が「必要な資質」に接続する.すなわち,

【【平和で民主的な国家及び社会の形成者として】 必要な】資質

が1つのまとまりになっており,「として」が「必要な」という形容詞に係り, 全体としては「資質」が中心になった名詞句である.ここでは,「として」は, 「になるために」という「目的」の解釈ができる. そして「資質」とは,「生まれつきの性質や才能」(「現代国語例解辞典」 P.531)を表わす. そして,「期する」とは,「確かなものとして期待し,そうなるようにはかる」 (「明鏡国語辞典」P.390)という意味なので, (案)における「目的」を言い換えれば,次のようになる.

教育基本法(案)の「目的」を言い換え:
教育は,人格の完成を目指し、
(1) 平和で民主的な国家及び社会の形成者になるために必要な(生まれつきの)性質や才能を持った国民の育成と,
(2) 心身ともに健康な国民の育成を
確かなものとして期待し,そうなるようにはかるように行われなければならない。

これで,「目的」の違いが明確になった.つまり, (現)では,「平和的な国家及び社会の形成者」として初めから国民を見ているのに対して, (案)では, 「平和で民主的な国家及び社会の形成者になるために必要な性質や才能を持った国民」を育成する,と言っている. つまり,教育基本法(案)では,初めから国民が 「平和で民主的な国家及び社会の形成」なんかできない存在だから, そのように教育を通じて(国が)してやると主張しているようなのだ.
 そして,このような姿勢が,教育基本法(案)ではあちこちに顔を出している. 簡単に誤解を恐れずに言ってしまえば, 「みんなダメ人間だから,いろいろな面で(国)が教育してやる」という姿勢だ.

5 2 教育の「目標」とは何か

教育基本法(案)では,「目的」と並んで,「目標」が掲げられている.
そもそも「目的」とは,「実現しようとしてめざす事柄」であり, 「目標」とは, 「ある物事を成し遂げたり,ある地点まで行きついたりするための目印」(「現代国語例解辞典」P. 1247,1248) である.以下に引用する第二条では,その部分が説明され, 「目標」=「目的を実現するため,… 行われる」ものとしているが, これは,大学法人化の際の中期目標と同じように, 具体的到達点の明示となっていることに注意しなければならない. つまり,理念から一歩踏み込んだ具体的到達点 が目標である.そういう意味で,教育基本法(案)の第二条を読んで欲しい.

第二条(教育の目標)
 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体をはぐくむ。
 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性をはぐくみ、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う。
 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う。
 四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う。
 五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う。

目標の五に掲げられているのは,いわゆる愛国心問題で,すでに4 愛国心の強要というナンセンス で取りあげた. ここでは,それ以外の部分に注目してみよう.

第二条(教育の目標)の 一 には, 「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体をはぐくむ。」 と記してあるが, これは,(現)の「目的」にある「真理(と正義)を愛し」の部分の拡張である. 「幅広い知識と教養を身に付け」,「真理を求める態度を養」うのは大変結構である. しかし「豊かな情操と道徳心を培う」, 「健やかな身体をはぐくむ」というのが新機軸であり, 具体的目標として「情操教育」,「道徳教育」,「体育」(?) を位置づけているように読める.

第二条(教育の目標)の 二 には, 「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性をはぐくみ、 自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う。」 となっているが, これは,(現)の「目的」にある 「個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに」 の部分の言い換えである. 前半は明確な表現であり特に問題を感じない.しかし, 後半の「職業及び生活との関連を重視し、 勤労を重んずる態度を養う」とある. 単に「勤労を重んじる」のでなく, 「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んじる」とは, いったい何を意味するのだろうか? ここには,<職業と勤労の関連>,<生活と勤労の関連> があり,個個人が「どのように働くか」,「働いてどのような生活を送るか」 にまで踏み込んでいる.それを具体的に教育するというのだ.

第二条(教育の目標)の 三 には, 「正義と責任、男女の平等、 自他の敬愛と協力を重んずるとともに、 公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、 その発展に寄与する態度を養う。」 とあるが,これは,(現)の「目的」にある「正義を愛し」の部分, 及び,第5条(男女共学)の部分がわずかに対応しているだけで,ほとんど新しい項である. 重きをおくべきものとして列挙されたのは, (1)正義,(2) 責任,(3) 男女の平等,(4) 自他の敬愛,(5) 協力 であり, 「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画」 することを求めている. 社会の中での個人の価値について述べた前項と対照的に, 個人に明確に公共性を求め,社会の形成に参加することを促している. さらに,「社会の発展に寄与する態度」も教育の具体的目標となっている. この項を根拠に, 生徒・学生にボランティア活動やインターンシップを推進するのであろう.

第二条(教育の目標)の 四 には, 「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う。」 という新たな目標が掲げられている. 確かに現行の教育基本法にはないコンセプトであり, 現代に求められる教育目標と言える. 生命をないがしろにし,自然を破壊し,環境を壊している のは誰なのだろうか,と考えてしまう.

6 なし崩しの一言

最後に,教育基本法(案)の教育行政について一言触れておく. 現行の教育基本法の第10条と,(案)の第十六条をまず比べて欲しい.

(教育行政)第10条 1 教育は、不当な支配に服することなく、 国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

(教育行政) 第十六条 (1)教育は、不当な支配に服することなく、 この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、 教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担および相互の協力の下、 公正かつ適正に行われなければならない。

議論になった「不当な支配に服することなく」の一節は残されているが, 問題は,その後. 「この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきもの」 (下線部は筆者)の「他の法律」とは何か? これは,「他の法律」を用意すれば, すべてこの新たな教育基本法(案)をひっくり返せる,というトリックにある. これこそ官僚,あるいは政治家が用意した「奥の手」であり, 笊法(ざるほう)を作る常套手段である.

竹山 徹朗氏は,メールマガジン「PUBLICITY」(1365号, Wed, 26 Apr 2006) の中で,次のように述べている.

【及び他の法律の定めるところにより】──この一言こそ、 「教育基本法改正」をぼくが改悪と呼ぶ、最大の根拠である。 この一言を外しさえすれば、あとは与党案のままでもよいとさえ思うほど、この一言が致命的なのだ。

何故か。

【「(基本法以外の)法律の定めるところにより」の一言こそ、 嘗て教育基本法を制定する際に、文部省が差し挟もうと企み、 民間情報教育局=CIEによって削除された文言だから】だ。

この一言をねじ込むことにより、他の法律を根拠に、教育基本法の理念を殺すことができる。

そしてその根拠を,現行の教育基本法が作られた時の資料にあたって, 裏付けている.すなわち:

▼1946年11月21日に、「教育基本法要綱案(第2案)」 がつくられている(『資料 教育基本法50年史』p358〜)。

同日、CIEとの会議が持たれた。その交渉用につくられた。

そしてひと月後の12月21日に、 新たに「教育基本法要綱案」が作成されている(同p361〜)。

11月21日案から12月21日案へ。実は、 この12月21日案で初めて、先に取り上げた「政治的又は官僚的支配」の一言が登場している。

そして、一つの文言が消されている。

消されたのは、「法律の定めるところにより」の一言である。

この一言は、11月21日案の、何処に入っていたのか。

「教育の機会均等」の条項である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(三)教育の機会均等

すべて国民は、人種、信条、性別、社会的身分又は門地の如何に拘はらず、

【法律の定めるところにより】、

その能力に応じて均等に教育を受ける機会が与えられなければならないこと。

『資料 教育基本法50年史』p359/【】は竹山

つまり、「教育基本法以外の法律を拠り所にして、教育基本法の理念を骨抜きにしてしまえ」という文部省の魂胆を、 CIEが見抜き、二度に渡って(他にもあるかも知れん)削除したのである。

「逃げ口上」の一言が、この文言の本質を言い当てている。 トレーナーにとってこの「逃げ口上」は「驚くべき追加」 だった。そして、これを許せば「完全な権利章典が否定され」 るのであり、「教育基本法の表現にこのような逃げ道があるのはあり得ない」と言い切っている。

つまり、この一言で、基本法の意味そのものが根本的に変わってしまうのだ。

教育の機会均等。そして教育行政の定義。この国家を縛る二点に、 かつての文部省は「逃げ口上」をねじ込もうとした。 それはGHQによって拒否された。
メールマガジン「PUBLICITY」: freespeech21@yahoo.co.jp
http://takeyama.jugem.cc/

法律の文書は,一般に難解であると言われる. それは,特殊な法律用語が加わるから,という理由の他に, 特定の言い回しの背後に,どのような本当の意味,あるいは, 意図が隠されているのかを見抜くのが難しい,ということでもある. つまり,「なぜこのような言い方をするのか」, その背景が見えないのだ.

なんの気もなしに読み進んでしまう1つの表現「その他の法律」が, いったい何を意図して入れられたのか,こう表現した人の頭の中には, 具体的にどんな法律が想定されていたのかは,分からない. しかし,重い一言である.

7 教育基本法改悪

今回の教育基本法(案)がなぜ改悪なのか, 以下の3点から批判してきた.

(1) 「愛国心の押しつけ」による「内心の自由」の侵害,
(2) 国の法律が基本的に国民を細部に渡って教育しなければならない, という姿勢に貫かれていて,本来,国民の持っている「自由」 に踏み込んでしまっている,
(3) 教育行政に関しては,「その他の法律の定めるところにより」 という文言を入れることで,笊法(ざるほう)にしてしまっている.

今,現行の教育基本法を読み直してみて, この法律が現代の教育の「憲法」にあたる, と胸を張って主張できる訳ではない.つまり, 現行の教育基本法がベストではない,ということだ. 改善の余地はあるので,時間をかけて良い案, 本当の意味での改正案を作って欲しいと願っている.

個人的には,「教育のためと言えども, 国やその他の地方公共団体が教科書の内容を検閲してはならない」 という一言も欲しいのだが, 教育者を心の底からは信じていないこの国の政治家を動かすことはできないのかもしれない.

「崩壊しつつある国家」の現実をまのあたりにしてもなお, 幻想的な「国」を死守しようとするあまり, 国民を微に入り細を穿つように教育することは, たとえ 「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性をはぐくみ、自主及び自律の精神を養う」 と宣言しても,最終的には個人の自由を侵害することになる. 今回は,教育基本法(案)の一部しか議論していないが, 「幼児教育」,「家庭教育」まで踏み込んで規定しようとする教育基本法(案)は, 異様である.もっと核心的な教育理念だけを明確に規定し, 後は自由に任せるという発想ができないものだろうか?

今更ながら,狭い古風な国家主義的教育理念に捕らわれている人達を見ると, 排他的日本社会の未来を憂う気持ちになる (これもある種の【強制されていない】祖国愛かもしれない).


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